2009年8月2日、日産自動車は量産型EVを世界初公開する。その正体とは、これまでのEVのイメージを覆す「5ドアファミリーカー」だ。08年度当期純損失は2337億円、2009年度当期純損失予想が1700億円という厳しい状況の中、カルロス・ゴーン社長は、2010年からの量産型EV生産体制を正式発表。なぜ日産は、ここまでEV開発に積極的なのだろうか。日産におけるEV事業の重要性を探った。
「やはり、5ドア車だった!」日産「量産型EV」突然の発表に、驚きを隠せなかった。
2009年5月15日(金)、EVS24(第24回・EVと燃料電池の世界シンポジューム)が北欧ノルウェー・Stavanger市で開催された。その3日目に、Nissan in Europeの商品企画担当・上級副社長のPierre Loing氏が「Nissan puts ZERO emission leadership at the center of its global product strategy」という15分間の講演を行った。
日産の量産型EV「5ドアファミリーカー」。Nissan in Europe上級副社長Loing氏が、EVS24にて突然発表した
その中の、プレゼン画面15ページ目。5ドア車のイラストが突然映し出された。
プロジェクタースクリーンを見ながら、Loing氏が言った。
「これが、日産のEVプロダクションモデル(量産車)だ。EVというと一般的に、シティコミューター(市街地での低速走行車)と思われがちだ。しかし、日産はそうした既存のEVに対するイメージを覆す。その回答がこの『ファミリーカー』だ」。
さらに、こう付け足した。
「2010年から日米で、ヨーロッパでは2011年に発売を開始する。また今年8月2日、日本の横浜の日産新社屋で、この車両を一般に公開する」。
EVS24開催事務局から事前配布されていたCD内には、このイラストは入っていなかった。
そのため、心の準備が出来ていなかった筆者はかなり驚いた。
その後、日産の本社広報部商品広報担当部署(東京・銀座)に問い合わせたところ、以下の回答があった。「8月2日に、横浜の新社屋移転に伴うギャラリーオープンイベントがある。だが、そこでEVを公開するかどうか、現在のところ未確定。また、決算発表でゴーン会長は、(EVについては)8月上旬にEVを公開すると発言している」。
「8月上旬」に首都圏で、日産が参加するモーターショーや各種自動車関連の大型イベントの予定はない。つまり、ノルウェーでのNissan in Europeの幹部の発言通り、8月2日(日)、JR横浜駅東口の日産自動車・新社屋で、量産型EVの世界初公開が行われることに間違いない。
では、その実態について、さらに掘り下げてみよう。
「日産の顔」が明かすEV事業の未来
筆者は毎年、世界各国の主要モーターショーを現地取材している。そうしたショー現地で必ずといってよいほど、顔を合わす人がいる。日産自動車・常務役員・デザイン本部長の中村史郎氏だ。中村氏は、フェアレディZのTVコマーシャルなどにも登場、またモーターショーでは英語でのプレゼンテーション役として舞台に登場する。そうした経緯で、カルロス・ゴーン会長と共に、世界各国で一般的に知られている「日産の顔」である。ジャーナリストに対しても、気さくに話し、ざっくばらんに日産戦略を語ってくれる。
日産自動車・常務役員・デザイン本部長の中村史郎氏。カルロス・ゴーン会長と共に、世界各国で知られている「日産の顔」だ。後ろに見えるのは、2008年9月パリオートショーで発表されたEVコンセプトカー「Nuvu」
筆者がここ数年、中村氏と会う度に聞いていたのが、新型「GTR」についてだった。いつ出るのか、エンジンの仕様は、ボディスタイリングは、などとその正体を徐々に探っていった。
「GTR(通称35GTR)」は2007年東京モーターショーで華々しくデビューした。その後、中村氏と筆者の会話の主題は「EV」へと変わった。そうしたなか、2008年9月、仏パリーショー。日産はファッショナブルな2ドアEVのコンセプトモデル「Nuvu」を発表。その際、中村氏は「これは量産しない。あくまでもデザインスタディ。EVはこうした形とも、(EV試験車両の)Cubeとも全く違う形状をしている」と語った。また、こうも言った。「2010年に、EVの量産型を市場投入する。最初は日米欧が主体となる。2012年からは世界各地での販売を進める。そして、そこから3年ほど(=2015年)先には、EVの他モデル化を進める。スポーツカー、ミニバンなど、様々な可能性を現在考えている」。
そして2009年3月、米ニューヨークショーで中村氏は「やっと最終デザインが決まった。非常に近いうちに、量産型EVを見せたい。(2009年10月の)東京モーターショーでは確実に登場させる。EVは、ガソリン車に比べると構成部品が少ないため、小さな事業体でも簡単に作れてしまう。日産としては、『これぞ、自動車メーカーが作ったEV』という凄い物をお見せする。ボディスタイルの可能性としては、居住性を考慮すれば5ドアハッチになるの順当だ」と、ニタリ顔を見せた。
その言葉を裏付けるのが、今回ノルウェーでのEVS24で公開された「5ドアファミリーカーのイラスト」。日産のEV戦略将来像を明確に示唆している。
「EVの日産」を印象付けた巧みな戦略とは
それにしても、日産のEV戦略は実に巧妙だ。
実は日産、1990年代では量産型EVについて世界最先端を突っ走っていた。1996年には世界初のリチウムイオン二次電池を搭載した「プレーリージョイEV」を、1999年には小型EVの「ハイパーミニ」を市販していた。
その頃、トヨタ「RAV4」、ホンダ「EV Plus」などが少量販売されており、これが、日米での第2次EVブームとなった。しかしEVブームは、燃料電池車開発と入れ替わるようにトーンダウン。さらに日産がルノー資本となりゴーン体制が敷かれると同時に、日産のEV開発は事実上凍結され、「ハイパーミニ」などのEVは販売中止となった。自動車業界の各種関係者の証言によると、日産のEV開発に携わった当時の技術者たちは「ハイパーミニ」開発中止後、新たなる活躍の場を求めて各部署(または社外)へと散っていった。
それから5年が過ぎた、2005年東京モーターショー。日産は近未来型シティコミューターのコンセプトモデル「Pivo」を登場させた。ちょうどその頃、三菱自工が「2010年までに軽自動車ベースのEV量産(=現在のiMiEV)の開始」を発表するなど、世間では再びEVへの関心が高まり始めていた。「EVの第三次トレンドの風」を感じ取った日産は、量産型EVの開発を再開したのだ。
筆者の取材によると、その頃から日産は、米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊にある、EVベンチャー企業「AC Propulsion」社と共にアメリカでの市場調査と走行テストを続けていた。同社は、民生用(ノートパソコン用が主体)のリチウムイオン二次電池「18650」(直径16mmx長さ65mmの円筒型)による電池パック技術開発で世界的に有名だ。
同社技術は、米TESLA「Roadster」(初期開発段階での特許を販売)やBMW「mini E」(同社技術の完全移植)で使用されている。だが、日産はこれと平行して、NECトーキンが開発した、薄型で軽量なラミネート型リチウムイオン二次電池を搭載するEVも開発していた。その後、日産と「AC Propulsion」との関係は突然終り、ラミネート型の採用が決定した(AC Propulsion社・Tom Gage社長への直接取材による情報)。
2007年に入ると、日産EVの動きが徐々に加速した。同年9月、独フランクフルトショーでスポーティな2ドアEVのコンセプトモデル「Mixim」発表、同年10月東京モーターショーでは「Pivo Ⅱ」と、立て続けにEVが登場。三菱iMiEV、富士重工業「プラグインステラ」などとは違い、EV量産型の姿カタチがハッキリしていないにもかかわらず、「EVの日産」のイメージが市場に広がっていった。
そして2008年8月、ついに「走る日産EV」が公開された。神奈川県横須賀市の追浜工場内テストコースで開催した「2008年先進技術説明会&試乗会」で、「Cube」のボディをまとった「EV-01」を走らせたのだ。これによって「日産の量産型EVは明らかに存在していて、発売はすぐ目の前」と、国内外に強くアピールした。
EVは日産にとって「最重要課題」
日産自動車・横浜新社屋。「5ドアハッチの量産型EV」が2009年8月2日に公開される
2009年5月12日、日産は2008年度の決算を発表。同年度当期純損失は2337億円、2009年度当期純損失予想が1700億円と、厳しい内容となった。だがこれと同時にゴーン会長は、量産型EVの2010年からの生産体制ついて正式発表した。モーターは日産の創業の地である日産横浜工場(横浜市神奈川区宝町)、インバータは日産座間事業所(神奈川県座間市広野台)で製造する。
また、日産EVの肝である、薄型軽量のラミネート型リチウムイオン二次電池はNECトーキンでセル(電池個体)を製造し、モジュール化(数個のセルの集合体)は、NECトーキンと日産の合弁会社 オートモーティブエナジーサプライ(出資比率:日産自動車51%、日本電気/NECトーキン49%)が行う。電池パック(モジュールの集合体)と車両の最終組み立て作業は日産追浜工場で行う。
そして、本稿最初にご紹介の通り、「5ドアハッチの量産型EV」が2009年8月2日、日産自動車・横浜新社屋で公開される。
ではどうして日産はこれほどまでに、EVに積極的なのか。筆者が考える理由は以下の5つだ。
(1)以前に本サイトで紹介したように(「間違いだらけの“電気自動車”報道!トヨタ・ホンダが本格参入しない本当の理由」)、トヨタとホンダが量産型EVに対して「コンサバ」。世界市場で、日系自動車メーカーとしての立ち位置が、トヨタ、ホンダに次ぐ「万年ナンバー3」のイメージがある日産。トヨタ、ホンダとは「全く別のスタンス」をEVで明確にすることで、先端技術イメージの「ドンデン返し」を狙っている。
(2)HEV(ハイブリッド)で現在、日産が市販しているのは2006年に北米で発売された「アル ティマ(前輪駆動の中型セダン)ハイブリッド」のみ。これは、ハイブリッド技術はトヨタ系アイシンAW社と提携。プリウス、インサイトなど「目の前のハイブリッド商品」がない日産にとって、「ハイブリッドの次」を市場に見せることによって、トヨタ、ホンダへ顧客が逃げることを食い止める。その「顧客へのイメージの時間差」を利用して、ハイブリッド車のラインアップを進める。
(3)日本での第3次EVムーブメントは、三菱自工と富士重工、さらには東京電力などの助力によって、すでにシッカリと足場が固まっている。つまり、「後出しジャンケン」となる日産EVにとっては、市場への普及効率における費用対効果が高い。
(4)リチウムイオン二次電池の、他自動車メーカーなどへの販売。モジュール化を行うオートモーティブエナジーサプライの出資比率を51%として、社外への販売の意向を強めた。また、EVと同じく将来的に急激な市場拡大が見込める、太陽光発電用の蓄電池事業にも期待する。
(5)横浜への本社社屋移転と、EVの「未来への新たなる一歩」というイメージを合致させ、「新生・日産」をアピールする。また元来、横浜生まれの日産(本社登記も以前より横浜)だが、銀座本社社屋、栃木工場、追浜工場など、「日産の故郷が明確化されていない」という印象が長年ある。EVによって神奈川県と横浜市との関係を強化し「地方に根ざした世界企業」をアピールする。横浜市とは「開港150年」との同調し、神奈川県とは「EVイニシアティブかながわ」構想とのさらなる連携を狙う。そのため、当初2010年に予定していた横浜新社屋完成を、2009年に前倒しした。
こうして各方面から見てみると、日産の量産型EVは日産の「ウルトラC」だと言える。
日産の将来像を強くイメージづける、最重要課題なのである。
そしてまた、近い将来における日産EVへの関心事として、EVインフラ関連のベンチャー企業・米ベタープレイス社と日産が「実際にどのような連携を組むのか?」が気になる。この件について巷では、様々な憶測が乱れ飛んでいる。この件を含めて今後も、日産EVについてさらに取材を進めていくつもりだ。